凱旋門賞とジャパンカップ。1990年代は同じような格の高い国際レースだった。日本馬が積極的に凱旋門賞を目指すようになったのは「1999のエルコンドルパサー、蛯名正義・二ノ宮調教師」からだ。惜しくも当時の欧州最強場モンジューの2着に敗れ去ったが、「もしかしたら日本馬でも勝てるかも」と思わせるには十分な、見ごたえのあるレースだった。だがエルコンドルパサー日本で調教しただけの、まぎれもない外国馬だ。そう、欧州馬なのだ。日本馬ではない。その後多くの日本馬が挑戦するもことごとく惨敗。日本人騎手が乗って好成績だったのは「2010・ナカヤマフェスタ・またしても蛯名正義・二ノ宮調教師」の2着だけだ。外国人騎手なら「2012・2013のオルフェーブル・C.スミヨン・池江泰寿調教師」の2年連続2着か。これは惜しかった。スミヨン騎手ではなく、ムーア騎手かデットーリ騎手、またはペリエ騎手のほうがよかったような気はするが、池添騎手のほうがよかったとは決して思わない。また、個人的に惜しかったと思うのは「2013のキズナ・武豊騎手」と「2023のスルーセブンシーズ・C.ルメール騎手」だ。脚の速い2人の騎手に欧州の馬場は合わない。騎手が違えば勝っていたかもしれない。その一方「1999のモンジューのJC敗戦」から欧州の実力馬は日本にまったくこなくなった。欧州の関係者の判断は正しい。競技の違う種目に参加する必要はないと思っているだろう。例えるなら【凱旋門賞は競輪レース】で【ジャパンカップはオートレース】だ。競輪もオートレースも似たような場所で走るが、競技はまったく別物だ。それぐらい違うと思っていい。凱旋門賞はとにかく騎手のパワーが必要そうだ。馬もそう。騎手の腕力と脚力で馬を動かしていく姿のイメージが競輪と重なる。対してジャパンカップはとにかく脚の速さが必要だ。騎手もそう。踏み固めた道の上をスイスイと走り最後の直線で脚の速い馬が勝つ。イメージがオートレースと重なる。JCはあまり荒れない。脚の速い騎手がきちんと脚の速い馬に乗っているからだ。日本の関係者はこの競技の違いを理解しているのか疑問である。まず凱旋門賞に日本人騎手を使うこと自体間違いである。オートレーサーが急に自転車で走れと言われるようなものだ。そんな脚力は練習していない。日頃からその練習しかしていない欧州の外国人騎手に勝てるわけがない。馬も急に走る場所が変わったら戸惑うだろう。それに慣れている選ばれし強い馬たちに勝てるわけがない。また外国馬がJCに出走するときは、今度は自転車でバイクに勝てといわれるようなものだ。スピードが違いすぎる。勝てるわけがない。というか誰もそんな挑戦はしないだろう。それくらい日本の馬は東京コースで走るときは脚が速い。だから欧州の強い馬はJCには来ない。当たり前だ。競技が違う。この違いが日本馬が凱旋門賞を勝てない理由となっている。ではどういう馬なら勝てるのか。次はそれを考察してみよう。